読書一般

人生の栄養 心と知性と魂の栄養を得るための読書

 

食材でも

3大栄養素があるように

読書にも3大栄養素がある

 

それは

 

心の栄養

知性の栄養

魂の栄養

 

食事の3大栄養素と違って、必ずしもバランスが大切なわけではないが
それぞれの栄養を取る事で、それぞれが健康な状態となる

とぅーん
とぅーん
心と知性と魂が健康だったら、あとは体さえ健康ならそれってもう怖いものなしじゃん!

どの栄養をとるかによって本の種類や読み方も多少変わってくる

今回はそのそれぞれの読書について考えてみる

 

心の栄養(小説など)

まず心の栄養となるのが小説

小説の中でもエンタメや文学、ミステリ、SFでもそれぞれ違いはもちろんあるが
基本的に心に栄養を与え豊にしてくれるのが小説

小説の世界に潜り込み、登場人物とともに感情の機微を体験する
頭の中で、いろんな世界を展開する

 

小説を読むと心がどんどん満たされていく

 

 

心の栄養という意味ではドラマや映画、漫画やアニメなども物語の世界を味わうことができる

ただ、やはりこれらとの圧倒的な違いが
映像情報があるかどうかである

 

そういう意味では小説は、映画やドラマよりも、音楽の方が近いのかもしれない

 

情報量として映像ってのはすごく大きい

メラビアンの法則によると

人に影響を与える情報の割合は…

  • 言語情報(話の内容など):7%
  • 聴覚情報(声のトーンや話の早さなど):38%
  • 視覚情報(見た目など):55%

小説はこの7%のみでの表現

 

そしたら当然自由度が高くなる

映像作品だってそうなのだが、小説はより読み手によって感想が変わる

どこで、どのような状況で読んだか、どのタイミングで読んだかによっても受ける印象が大きく変わる

自分の心を写す鏡のような役割も果たす

 

 

また、映像がないからこそ心の中を書いて陳腐化しないという特徴がある

 

映画やドラマで心情の中を語らせるとどうしても陳腐化してしまう
その分映像作品は、先ほどのメラビアンの法則でいう、言語情報以外の情報で

監督が、演者が、感情を表現する

それを見る側は汲み取る

 

どうしてもそういう面はでてくる

例えば、小説の原作を読んでいて
その後に映画を見ると、「あれ、ここの感情この表情なんだ」と思うことはよくある

一方、映像を見ていてから
小説を読むと、映像で見た時の感情のつもりで読んで素通りしてしまう

 

そう言う意味で先に映像を見てしまうと、自由度が制限されてしまうことがある
特に自分はそういう理由で先に映画はあまり見たくない

 

小説の目的が、情報収集ではない以上、はやく読むことには価値がない
(もちろんたくさん読む、が目標の期間だってあっていいとは思うが)

その中でもじっくりじっくり一語一語、一文一文汲み取っていく超じっくり読書の人もいれば
一人の登場人物に思い入れを持ってなりかわって一気に読む人もいる

書き手側の視点も含めて、文章構成や表現技法などを味わう読書の人もいるし
好きな言葉を集めながら読む人だっている

なんと言っても自由なところが自分にとっては小説の最大の魅力

 

そしてこの心の栄養こそが
人間にとって一番大切なんじゃないかと思う

さらに、さらに、

想像力を働かせるという意味で脳もとても活性化するし
主題によっては、知らなかった情報が手に入ることもあるので知性の栄養にもなるし
勇気をもらって新しい一歩を踏み出すきっかけにもなりうるので魂の栄養にもなる

 

とぅーん
とぅーん
自由度の高さを生かして心の赴くままに世界を旅できるのが小説!

 

知性の栄養(新書など)

○○について知りたい!

と明確な意識を持って読むのが知性の栄養となる読書

例えば新書(ノウハウ本もここかな)

 

知識を得るためにも読書はとても有効

もちろんネットにもたくさんの情報はある
ただ、ネットでみられるのはあくまで”情報”

情報は、英語だとデータ
単発で1つずつあるような状態

一方知恵は、それらの情報が構造化され、体系的にまとまった状態

 

ネットのものが全部構造化されていないものだなんていうつもりはもないし
無料で得られるネット情報でもめちゃくちゃ有益なものはたくさんある

でも、だからといってネットだけに頼れば十分かというと
必ずしもそうではないだろう

 

ネット情報は後からいくらでも書き換えられるし、追加もできる
一方、本は一度形にしたら、もうそれは変わることはない

だからこそ、著者だけでなく、編集者など出版社の方も関わって
「著者が持っている情報をまとめた、1つの知識」として1冊の本を作っている

 

だからこそ、”知識”を身に付けるのには読書が有効なのだ

 

新書よりもっと踏み込んで学術書を読むような方もいるだろう
好きな分野について、役に立つとかそういうのは関係なく、学ぶのはとっても楽しい

知識を得る読書では、記憶に留めたり、自分なりに整理し直すこともより重要になってくる

得た知識をさらに自分なりに整理し直す
ネット情報や他の本から得た情報も含めて整理していく

 

そうやって自分の中での知性の世界を広げていくのが知性の栄養となる読書

 

とぅーん
とぅーん
物理や数学、歴史や哲学、お金や健康、これらについての知識を深めるためにどんどん本を読む

 

魂の栄養(自己啓発など)

心はheart
魂はspirit

なんとなくこの違いは分かってもらえるだろうか

小説のところで触れたように、もちろん綺麗に2つに別れるわけではないが

嬉しい悲しいと言った感情に関わる心に対して
モチベーションとかに関わる魂

と思ってもらえると良い

 

いわゆる自己啓発本と言われる奴が魂の栄養となる読書

 

ざっくり言えば
幸せに生きるための方法を知りたい!て人向けのノウハウ本だ

 

ただ、ここで問題なのが「幸せ」て言葉には定義が存在しないこと
人それぞれ違うものだから

 

もしプログラミングができるようになりたい!
受験に合格したい!
みたいなことなら目標が明確なので本を読んで実戦しやすい

そもそもその目標を達成するための期限つきのことであることも多いので
まずやってみるがしやすい
失敗したときの影響が想定できる

 

一方、幸せな人生
てなると目標達成期限はない

それゆえにずっとやっていく行動だし
人生を変えるってなると、その行動が与える影響も大きい
というかどんな影響を与えるのかが想像できない

 

だからこそ行動につなげにくい面があるのが自己啓発本

 

例えば、「好きなことをやれ!成功者は皆それをやってきた!今嫌いな仕事ならやめればいい、リスクなんてない」

ほぼ全ての自己啓発で言われるようなこの発言

 

おそらくだが、これは真実なのだろう
皆が言うってことは真実なんだ
結構誰にでも当てはまる真実なんだろうな、まで自分は思っている

 

でも正しいからと言って、それを行動にうつせるかって言ったらやっぱり難しい

だって今のままいれば今の生活は守れるのに
仕事辞めたら少なくとも、一瞬は収入が0になったり、途中に困難があるかもしれない

そうなると行動にうつすのは難しい

 

で、行動に移していないのに、読んで、なんとなくやれそうな気がして、いつかやるんだ、くらいに思って気分を盛り上げる

そうしていると、意識高い系とかいわれるわけである

行動しない限り意味がない、と言われる

 

でも本当にそうだろうか??
現実があって、理想があって、その間って本当に何もないのだろうか???

 

もちろんそんなわけがない

 

幻冬舎編集者の箕輪さんは自身の著書『死ぬこと以外かすり傷』の中で

意識くらい高くもて

といっている

全くその通りだと思う

 

 

もちろん意識だけ高く持って行動ともなっていないのに
それだけで他者に対して優位性を誇示するようなやつはちょっとやばいと思うが

自分の中にいつかこうありたい、を持って
でもそれができない自分と戦うって、全然格好悪いことじゃないしむしろかっこいいことだと思う

 

まずそもそも理想がないと、自分なりの幸せの定義がないと、幸せになりようがない

そしていろいろ読んで、これは無理だな、これも無理だ
そう思いながらもいろんな本で同じことを言われる

そういう中で少しずつ、それが自分の中の考え方にも影響を与えていって
少しずつかもしれないが、行動にも変化を与えていく

昨日の自分よりも、ちょっとだけ理想に近づいた自分がいる

 

もちろん行動ベースで考えることはすっごい大切

 

でも、ひとっ飛びに行く必要はない

ゆっくり自分のペースで
これでもいいじゃん

だから、読んで気分が上がる
それだけでも十分な栄養だ

 

とぅーん
とぅーん
行動しなきゃダメとは限らない

 

まとめ

  • 小説などで自由度たかく心を羽ばたかせる
  • 新書などで情報ではなく、知識をえる
  • 自己啓発などでモチベーションを高める

精神、情緒、知性全てに栄養を与えてくれる読書ってのはやっぱり素晴らしいですね

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございました