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【映画】『蜜蜂と遠雷』|見る前にこれだけは知っておきたい、原作を読んでない方向け感想

2019年10月4日

映画
『蜜蜂と遠雷』
が公開された

 

公開が決まった時から公開日は頭の中にインプットされ
10/4という日付を聞くたびに
あれ?何か予定があったきがする

と思ってGoogleCalederを見て
「あー『蜜蜂と遠雷』の公開日か!」
となっていた
(そう言いつつ公開日の次の日に見たわけだがそこはまあご愛嬌)

 

さて、なぜそんなに公開日を意識していたかというと

とぅーん
とぅーん
ちょうどその日が彼女の誕生日だから!!!

 

・・・

 

とそんなことはなくて、、、
(というか「カノジョッテナニ??」 て感じなのだが)

この原作が大大大好きだからだ

その大好きの思いを綴った記事はこちら

【感想】『蜜蜂と遠雷』恩田陸|小説が音楽を奏でる瞬間を、あの感動を味わってほしい! 2017年の第14回本屋大賞 大賞受賞作品 恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』 小説の好みはひとそれ...

 

そんな原作好きの自分が映画を見た感想をこれから書いていく

まず原作を読んでいない方に向けて
これだけは見る前に知っておいたほうがより楽しめる!という1ポイント情報を述べる

 

その次に映画を見た方に向けて
原作と映画の違いを見つつ、双方の魅力を紹介

 

原作を既に読んでいる方
この原作をどう映画にするんだろう?とうい点を楽しみにしている方はここでこの記事を閉じてください!

※あらすじ程度のネタバレを含みます

主人公栄伝亜夜について

この物語の舞台はピアノコンクール

世界中から才能豊かな若者が集まり
プロデビューへの登竜門との呼び声も高いコンクール

それぞれの思いを抱えている参加者

その中でもこの物語の主人公となっているのが

栄伝亜夜、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール、風間塵、高島明石

中でも栄伝亜夜は、しばらくピアノから離れていて、復活のコンクールとなっていて、それがこの物語の主題の1つとなっている

さてそこで
なぜ亜夜はピアノから離れたのか
見終わってもここがいまいちしっくり来づらいし
ここがしっくりこないと楽しみが大きく減ってしまう気がしたのでご紹介!

 

亜夜がピアノから離れてしまったきっかけは

幼い頃から自分を指導してくれたお母さんが死んでしまったこと
それ以降、人前でピアノを弾くのをやめてしまった

以下原作から引用

 音楽から離れたわけではない。ステージのコンサートピアノの中に、取り出すべき音楽が見つからないのと、それを聴かせるべき母親がいなくなったというだけで、音楽を聴くのは好きだったし、それなりにピアノも弾いていた。
ただ、亜夜はあまたの「天才もどき」とは異なっていた。
確かに、有り余る音楽性が彼女の中に埋もれていた。
その音楽性に気付き、しかもそれが、亜夜の場合、かえって彼女をピアノから遠ざける可能性があると気付いていたのは、恐らく彼女の母親ともう一人だけだった。
彼女は、元々ピアノなど必要としていなかったのだ。
子供の頃、トタン屋根の雨音に馬たちのギャロップを聴いていた時から、彼女はあらゆるものに音楽を聴き、それを楽しむことができたからである。

 

彼女にとってピアノは音楽を生み出してくるものではなく
「元々世の中を満たしている、音楽」をすくいあげるためのものにすぎなかった

 

これをわかっているだけで
風間塵が繰り返し述べる言葉の意味の理解や
何度か出てくる馬の意味
お母さんとの演奏シーンなどの意味ががわかってくる

ぜひこれから映画をみようという方はこれだけは抑えていただきたい

原作と映画の違いについて

小説の映画化に関する自分の考え

自分は基本的に小説も映画も好きだ

ただ映画が良かったからといって原作が良いとは限らないし
原作が良かったからといって映画がよくなるとは限らないと思っている

特に大きな違いの1つめ長さ

 

今までの感覚でいうと
小説100-150pまでが映画の1時間

なので400pの小説を2時間の映画にしようとしたら
どうしても薄い内容となってしまう

なので原作に忠実にしつつ全体を表現しようとするのではなく
原作の中でも特に映画の監督や演者が伝えたいと思う内容を伝えた方がいいと思っている

そういう意味で原作と映画は別物であるものだと思うし
その方が面白い映画ができると思っている

 

そしてもう一つの大きな違い心情の表現
映像作品で心の声をつらつら言葉で語ってもどうしても安っぽくなってしまうので表情などで表現する
一方、小説はそれを違和感なく言葉で表現することができる

ここが大きな違い

そしてもう一つ
特にこの作品で大きな違いとなるのが
音楽の表現

 

映画は音と映像が使える
だからこそ音楽も演奏を見せ、聴かせることができる

一方小説では音も映像も伝えられない
もちろんドレミファソラシド〜〜〜とかジャジャジャジャーンとかで伝えることもできない

この3点についてもう少し詳しく説明

長さの違い

原作は文庫で上下巻に別れ800pという大作
小説の中でも長い方といえる

先ほどの理論でいうと2時間にしようとしたらどうしたって時間が足りない
だから映画にするってあたってこの課題をクリアしないといけない

ここは見事にクリアしていた!

 

原作では1次予選から本戦まで
全試合にわたってそれぞれの登場人物の心境の変化などもかなりきめ細かに書かれている

一方映画では本戦にかなり焦点を絞っている

そしてもう一点

原作では

栄伝亜夜、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール、風間塵、高島明石

全員が主役を担っているのに対し
映画では栄伝亜夜にスポットを当てている

その結果映画としてのまとまりをしっかり保ったまま1つの作品として成立していた

 

音楽を聞く立場の人達としても
審査員だけでなく亜夜の友人や、舞台の調律師の視点など原作では様々な視点で描かれているが映画ではそこを
ワンシーン、表情と少ない言葉で表現している
この行間を自分で埋める映画の楽しみもある

ベテラン俳優たちのそこらへんの含みのある表現はさすがだった

ただその行間をより丁寧に深く埋めようと思うならやはり原作を読んでほしい

心情の表現

先ほどの節でも少し触れたが
心情面の表現に大きな自由度が発生する映画だが

ベテラン俳優はもちろん
主役を飾る人たちも素晴らしかった

主役の4人は本当にはまり役で
見事に原作の雰囲気を保っていた

ただ栄伝亜夜の心境でさえ補足したくなってしまったくらいで
他の登場人物の思いなども味わうともっともっとこの作品は好きになってもらえるんじゃないかなと思う

 

音楽の表現

同じくピアノを題材とした小説として
『羊と鋼の森』があるが

映画では演奏部分をあえて無音にして
多い浮かべる景気を移すという表現方法をとっていた

この『蜜蜂と遠雷』でもそんな感じになるのかなと実は予想していたのだが
そんなことはない

コンサートにきているような迫力の音楽をがっつり流してくれた

まあ自分はコンサートなどを見に行ったことは多くはないし
何を持ってコンサートにきているような、とするかは微妙なのだが
とにかく音楽もすごくよかった

CD買って聞いていたいなと思った

まとめ

ということで
映画ではどうしても描ききれない部分があるし
原作ファンとしては原作も読んでほしいと思う気持ちはかなりあります

ただ映画の評価としてはあの大作を
見事に映画にした!
という意味で合格点、てのが率直な感想です

1映画として見てもいい作品です

ただやっぱり原作が好きなので、映画がきっかけで原作を読んでくれる方が増えたらいいな
結局はそんな感想に落ち着きました

 

ここまで読んでいただきありがとうございました

 

原作についての記事はこちら

【感想】『蜜蜂と遠雷』恩田陸|小説が音楽を奏でる瞬間を、あの感動を味わってほしい! 2017年の第14回本屋大賞 大賞受賞作品 恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』 小説の好みはひとそれ...

 

他に映画と原作の比較をしている記事がこちら

https://thun-fin.com/?p=53