「みんなちがって、みんないい」
誰しも一度は聞いたことあるだろう
金子みすゞさんの詩の一句だ
それを、どりゃっ、ともじってしまった挑戦的なタイトルの本が本書
『みんなちがって、みんなダメ』
タイトルに負けないくらい本の中での言葉も強めだが
よくよく内容を読めば結構普通のことを言っている
普通、ってのは悪いことじゃなくて
奇をてらったしょうもない本ではないよ!てこと
(内容しっかりしてるんだしタイトルと表紙、こんなふうにしなくてもいいんじゃないのかな?と思わないこともない)
ただ、やっぱり文が強いのでいきなり読むのはあんまりおすすめしない
いきなり読むと反発の方が強くなってしまいそう
基本的に”よくある自己啓発”に対して異を唱えるような内容となっているので”よくある自己啓発”を知っておく必要がある
それをある程度自分の中で落とし込んでおく必要がある
ということで
よくある自己啓発を10-20冊くらい読んだ方
ポジティブな感じの自己啓発が気に入らない人
本書の大きな特徴としては著者だろう
中田考さんはイスラーム法学者である
ということで一神教を信仰している人という立場で語られる内容などが、宗教に疎い自分にはなかなか面白い
3ポイントの気づきとしては
- 知るべきことを知らない人がバカ
- 信仰を持っていれば承認欲求はいらない
- 農耕文化と狩猟採集の文化
知るべきことを知らない人がバカ
知るべきことを知らない者をバカと言います。
(中略)
人が知るべきことは「自分が何をしたいのか」、そして「自分い何ができるのか」の二つしかありません。
(中略)
実のところ、人が知るべきことは本当は二つではなく、三つです。その三つ目とは、「自分は何をなすべきか」です。
この本一番のポイントがここ
文章内で再三、「人は皆バカ」みたいなことを言ってくるが
とにかくここでいうバカは
知るべきことを知らない人
のことであり、その知るべきこととは
やりたいこと、できること、すべきこと
である
やりたいことを明確にするのは最近の本ではだいたい言われる点
できることを知れ!、の所が、「行動を促す感じの自己啓発」とは違う
有名な最近の本だと
『新・魔法のコンパス』西野亮廣
『メモの魔力』前田祐二
『死ぬこと以外かすり傷』箕輪厚介
とかは行動促す系の典型
先に行っておくが自分はこれらの本がすごく好きだ
だからこそ全部書評記事も書いている
ただ、みんながみんなそうじゃないよね!
ということ
この本の中でも勝手に突き進む人を否定しているわけではない
でも、彼らは異端児であってマジョリティではない
だからそういう人達を多数派にしようとするのはおかしいよねというわけだ
何言ったって、言うことを聞かない人はいる。ただ、そうではない人間を刺激して、そっちに引きずり込むのはやめようと言っているんです。
権威に逆らう必要はあるんです。あるんですけれども「権威に逆らうべきだ」というのが多数派の言説になるのは、おかしい。
この”できること”って言葉の解釈がちょっと幅広いんだけど
自分で考えて悩んだり失敗するくらいなら
誰か自分よりちょっとすごい人についていくのが良い
というような内容が書いてある
これもこれで1つだろう
実際学びは”真似び”なのだから誰かにくっついていくってのがスタート
『Think Clearly』でも禁欲的な考えであるストア派の考え方がベースになっているので共通するような点もある
『嫌われる勇気』とかもどことなく似ている雰囲気はある
できること、の捉え方として自分が好きなのは
『7つの習慣』で話されている話
(本書の主張とは少し違うだろうが)
“人が関心あること”っていう「関心の輪」があって
その中で”自分が影響を与えられる”「影響の輪」がある
だから、影響の輪に集中しましょう!
という話
自分じゃどうしようもないことを気にするのではなくて
自分ができることにだけに集中する
関心の輪と影響の輪の線引きをしっかりできると余計なことで心は乱されない
何をなすべきかの部分は次の節で
知るべきことを知らない人がバカ
知るべきことは、「やりたいこと」「できること」「やるべきこと」
信仰を持っていれば承認欲求はいらない
信仰を持っている立場からすると、基本的には神が満足するかどうかだけを考えて生きているので、他人が何と言おうと、どんな生き方をしようと、自分にとってはどうでもいいことなんです。イスラームや一神教の考え方では、承認欲求も何もかも神に一元化するのが基本です。
ここが特徴的だなと思った点
神か人間か
という問いの前では人間は1くくりにされる
そうなってしまえば人間に承認される必要はない
前節のやるべきことを決められるのも神だけ
なので信仰がないのであればやるべきことはない
まるであるかのように扱われている”やるべきこと”という幻想を打ちくだく必要がある
この「やるべきこと」という幻想に縛られている人は多い
自分もいろいろ縛られている
この本では一神教であればやるべきことがあって
そうじゃなければないと書かれているわけで
だったらやっぱりやるべきことはない
自分はもともと「べき」って言葉が嫌いで
人間界のルールを魚の世界に持ってくるな!
みたいに思っていた
同調圧力によって「やるべき」でがんじがらめにしてこようとする世の中に対して
「やるべき」ことを決めるのは一神教の「神」
あるいは自分にとっての神、すなわち「自分」だ!
ていうのでいいんじゃないかなー
“自分”の「やりたい」「やりたくない」にもうちょっと忠実に生きていいと思う
これも1つの信仰だろうなって思ってるけど
そのためにも「やりたいこと」「やりたくないこと」「できること」についてはよーーく考えたほうがいい
(自分に言い聞かせつつ)
一神教の世界で、承認欲求を満たしてくれる相手は神だけであり、やるべきことを決めるのも神である
農耕文化と狩猟採集の文化
イスラーム社会のモデルは牧畜ー商業社会です。農業と工業が結びついて西洋近代のモデルになったように、牧畜は商業と結びついてアラブ・イスラーム世界のベースをなしていきます。
農業と工業というのはコツコツ同じことを継続すれば成果が出るという意味で似ている
だからこそもともと農業社会であった日本や西洋では機械的に動く人間が良しとされされてきた
一方、イスラームの社会では
築き上げた農地も他の国に攻められて一瞬で無に帰してしまうということがある
コツコツ働いたからといって報われるとは限らない
そしてこう続く
狩猟採集は発展や蓄積をめざしません。「発展」に限界が見えてきている現代、何かを生み出すのではなく、すでにあるものを獲ってきたり、拾い集めたりして、それを仲間で分配するというスタイルは、先の見えない世界を生き抜くのに必要な生き方かもしれません。
どうしてもヨーロッパやアメリカに目がいくが
落合陽一さんとかはこれからはアジアだという話をよくしている
(その理由が多神教であることとかだったりするから理由は全然違うが)
実際世界70億人の人口のうち40億人がアジア
そもそもアジアってくくりが広すぎるという問題はあるが
西洋以外の価値観ってのを学ぶ価値ってのは結構大きそう
コツコツ働くが良しとされた農業ー工業の社会の価値観だけでなく、狩猟採集ー商業という社会の価値観も大切
まとめ
- 知るべきことを知らない人がバカ
- 知るべきことは「やりたいこと「できること」「するべきこと」
- 「するべきこと」を決められるのは神だけ
- 狩猟社会と農耕社会の価値観の違いに注目
かなり自分フィルターを通した内容になってしまった気もしなくもないが
一度読んでおいても損しない本だと思います
ここまで読んでいただきありがとうございました